加賀四湯とは

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加賀四湯は、北陸三県の真ん中にあります。

富山県、石川県、福井県が北陸三県

石川県は日本海に突き出た能登半島が目印。百万石の城下町「金沢」があります。
加賀四湯(加賀温泉)は、そこから南へ約40キロ。首都圏からは羽田空港より小松便で1時間、関西からはJRで約2時間20分です。

平成26年度末までには、北陸新幹線(長野-金沢間)が開通し、
東京-金沢間が約2時間30分でつながります。開通が楽しみです。

文人墨客たちに愛されてきた加賀四湯

開湯千三百年の長い歴史の中で、あの時代、その時代、この時代に生きた魅力的な人々たちが、この加賀四湯に訪れています。そして、これらの人々が残した足跡が、厚みのある歴史文化として、今もなお、加賀四湯に息づいています。

高僧 泰澄大師 俳聖 松尾芭蕉

今からおよそ千三百年前の奈良時代、西暦718年に高僧泰澄大師により、あわづ温泉が開湯し、加賀四湯(加賀温泉)の歴史が始まりました。その頃と言えば、平城京が西暦710年、日本書記が2年後の西暦720年です。その後、行基により山代温泉、山中温泉が開湯しました。行基は全国各地で開湯伝説があり、草津温泉や野沢温泉も同様です。

鎌倉時代には、浄土真宗の祖である親鸞聖人をはじめ、蓮如上人が布教にこの地域を訪れています。戦国時代には、明智光秀が傷を治療するために山代温泉で湯治しています。江戸時代には、松尾芭蕉が曽良とともに山中温泉で逗留し、多くの句を残しました。

明治、大正、昭和に生きた作家「与謝野晶子」は、あわづ温泉や片山津温泉、山代温泉に訪れています。高浜虚子、山本周五郎、棟方志功、山下清、谷崎潤一郎、吉川栄治など、著名な文化人、芸術家にも愛されました。中でも、篆刻家であった北大路魯山人は、山代温泉の旅館の主人らとの交流により、陶芸家、美食家として開眼していきました。「雪は天から送られてきた手紙である」と説いた世界的な科学者「中谷宇吉郎」は、片山津温泉出身です。DNAに刷り込まれている北陸人の感性が、雪の科学者へと導いていきました。

与謝野晶子

皇族では、皇太子の頃の明仁天皇をはじめ、数多くの方々が、訪れています。また、吉田茂、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、中曽根康夫などの歴代の首相もしかりです。

道場六三郎

お茶の間で御馴染みの有名人では、石原裕次郎 さん、森光子さん、片岡鶴太郎さん、松坂慶子さん、松井秀喜さんなどがいます。山中温泉には、片岡鶴太郎工芸館があり、森光子さんは山中座の名誉館長です。そして、料理の鉄人道場六三郎さんは、山中温泉の出身です。

霊峰白山

日本三名山の一つ「霊峰白山」の眺望が美しい。

駿河の富士山、越中の立山、そして、加賀の白山を日本の三名山と称します。白山は、石川、福井、富山、岐阜の4県にまたがり、峰々が屏風のように美しい山容を望むことができるのが、加賀四湯(加賀温泉)のある南加賀地域です。南加賀地域の人々は、霊峰白山とあがめ、その恵みに感謝しつつ豊かな郷土を愛し、誇りをもって暮らしています。

それぞれが個性的な“加賀四湯”

霊峰白山の恵みにより育まれた、粟津、片山津、山代、山中の4つの温泉地は、半径約8キロの小さな範囲にあります。
●里山に囲まれた箱庭のような、あわづ温泉
●柴山潟の湖畔に佇む、片山津温泉
●田園が見渡せる丘陵地の広がる、山代温泉
●山あいの渓谷(鶴仙渓)に形成する、山中温泉
それぞれ異なったロケーションを持ち、効能も「四湯四養」です。

加賀四湯

日本海の新鮮なカニ

日本海の新鮮なカニ、エビ、地酒・・・うまいもんがいっぱい。

加賀四湯(加賀温泉)には、橋立港、安宅港があります。
北前船の寄航地でもあった両港には、日本海を漁場としており、新鮮な海の幸が水揚げされます。中でもズワイガニ(石川県では加能ガニという)が一番。真っ赤な冬の味覚です。そして、甘エビもたいへん美味しいです。青い卵がぎっしり詰まったプチプチした食感を味わって下さい。
そして、霊峰白山の恵みとして、地酒があります。白山に降った雪は、伏流水となっておいしい水を与えてくれます。この水と、おいしいお米、北陸の湿っぽい冬場の気候、そして、腕のいい杜氏による芳醇な地酒が楽しめます。9つの酒蔵が、加賀四湯にあります。
温泉を浴びて、九谷焼の徳利とお銚子で地酒を飲み、山中塗の箸で日本海のカニを味わう。
そんな”加賀四湯”に、ぜひお越し下さい。

日本海の新鮮なエビ

薬師如来を祀る日本の温泉文化がある

湯守寺

温泉がこんこんと湧き続けた背景には、「湯守寺」の存在があります。
四湯それぞれに、この「湯守寺」があります。
あわづ温泉は「大王寺」、片山津温泉は「愛染寺」、山代温泉は「薬王院温泉寺」、
山中温泉は「医王寺」。
古来より、医薬の仏として信仰されてきた「薬師如来」をともに祀っています。
湯治に良し、願かけに良し、かつての日本人が営んできた温泉文化が加賀四湯(加賀温泉)には、今も根づいています。

九谷焼と山中漆器 伝統工芸文化が息づく温泉地

九谷焼と山中漆器

豪放な色絵磁器「九谷焼」の里
九谷焼は、山中温泉の奥山で江戸時代前期に産声をあげました。
その後、約100年の時を経て九谷焼が山代温泉の地で、大聖寺の豪商・豊田伝右衛門によって再興され、徐々に南加賀地域に広がっていきました。
豪放な色絵を特徴とする九谷焼は、日本に留まらず、明治時代には主要な輸出品となり、以降、海外からも高く評価されています。
そして、伝統を継承しつつ、新感覚の技法や意匠も開発され続けています。

わが国の三大漆器「山中漆器」の里
わが国の漆器三大産地(生産額)は、会津漆器、山中漆器、越前漆器と言われています。 山中漆器は、戦国時代から400年以上の歴史を持っています。
製材から木地挽き、塗り、加飾までの全工程を分業体制で展開しており、それぞれの職人たちは山中温泉街に居住しながら携わっています。

温泉地と伝統工芸文化が同じ地域にある「加賀四湯」は、全国でも稀有な存在であり、秀でた魅力を持っています。